琵琶湖疏水は、琵琶湖から京都市内に向けて引かれた水路で、滋賀県大津市で取水され、南禅寺横を通り蹴上迄が区間です。
1869年東京遷都で明治に入り、京都の産業も人口も急激に衰退した時代に建設が開始されました。
責任者として北垣京都府知事が指名したのが、大学を卒業したばかりの青年技師、田辺朔朗(たなべさくろう)で、着工は明治18年(1885年)です。
その目的は、琵琶湖と宇治川を結ぶ舟運を開き,大阪湾と琵琶湖間の通船や水車動力による紡績業,潅漑用水,防火用水などでした。
その後水力発電の有利性が注目され、1889年に蹴上に発電所が建設、91年には送電が開始されました。
名所旧跡の多い京都にあり、ルートは多方へ迂回せざるを得なく、盆地という地理的な事情からも、蹴上と岡崎に落差36mで両船溜りが発生しました。
それを結ぶため、苦肉の策として誕生したのがインクラインです。
ケーブルカーの要領で荷物や客を船ごと台車に乗せて約600mの距離を上げ下ろしするという方法で、二本の線路が敷かれました。
当時は舟が上下を10〜15分で結んでいたらしく、その光景見たさに見物客で途絶えなかったといいます。
しかし運河水運業の衰退から今ではレールと船台が残るのみす。
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