ギャラリーのざわ、ライブへ

5月 16th, 2010

いつもお世話になっている歳森彰氏(p)と、秋吉文夫氏(b)のライブ。

ピアノとウッドベースのデュエット。
ヴォーカルが参加しないジャズライブは、久しぶりかもしれない。

歳森氏いわく、今日のライブの目玉は、「ベース音の、床の振動」。

会場の「ギャラリーのざわ」さんは、町屋である。

聴衆は、通常は畳の上で聞く。
あぐらをかいたり、体育座りをしたり、なんなら、正座もできる。

そして、その聴衆の畳の部屋と続きに、8畳~10畳ほどの大きさだろうか、
ステージがある。

しかし、このステージ、「ステージ台」ではなく、「ステージ穴」とも言おうか。
一段下がっているのである。

だから、聴衆が望めば、畳の部屋の端っこに腰掛けて、、一段下がったその床に、足の裏を置くことができる。
丁度、椅子に腰掛けているように。

また、それは最前列の5席分くらいだけなので、特等席とも言える。

さらに、そのステージは、木の床。
なので、その床に、ウッドベースの低音が、振動として響いてくるのである。

開始から10分程遅れていった私は、最初は後ろ目の、畳の上に。

そして、1部と2部の間で、歳森氏のお勧めどおり、その特等席に、座らせてもらった。

などほど、響いてくるゾ!

特等席の、一番右の端だったために、特に左の足の裏に、響く。

ベース音についての説明でもあったのだが、
「ボンボンボン」と、一見(音だから「一聴」?)すると、楽譜のおたまじゃくし♪が並んでいるかの如くに、思える。

しかし、その一音には余韻があり、その余韻が終わる前に、次の一音が続く。
なので、実際には、おたまじゃくし♪の並びではなく、音の「波」なのである。
途切れないで、続いている。

その感覚が、足の裏で、しっかり読み取れるのである。

説明と、体感が、ピッタリと一致。

それが、「上質な足裏マッサージ」を受けたような感覚で、とても気持ちが良いのである。

歳森氏のお勧めを試してみて、とても得をした。

やはり、その道の達人の言うことを、素直に聞くことは大事だと、改めて感じたり。

ところで、

今日は、関東から、写真家の正木輝明氏もお見えになっていた。

「千日回峰行 四十八人目の阿闍梨―上原行照大阿闍梨写真集 」を撮られた方で、5年もの間、追って撮られたとのこと。

今日のライブで撮られた写真を、直ぐに見せていただいたのだが、さすがである。

「次回は、もう少し早く到着して、ライトのセットアップもしたいな」、
そうおっしゃっていたので、はやりライトの加減で、撮影は難しかったのだろう。

しかし、そんな様子は、私には微塵も分からない。
光の当たる部分と、当たらない部分を、うまくコントラストされていたと感じた。

もちろん、私が、無駄に撮ってしまう、ブレやボケが、一枚もない!!

思いがけない出会いで、良かった。

ちなみに、「ギャラリーのざわ」の奥様は、「別冊太陽」の何冊かを、編集をさたと、今日知った。

ライブが終了して何時間も経過してるのだが、
こうして日記を書いている今でも、足の裏に、「上質なマッサージ」感が残っているのである。

驚き。

ギャラリーの帰り、車を運転している時は、当然もっと、その感覚が大きかった。

そして、不思議なことに、気分がフワッとして、優しい気分なのである。

普段は、他の車の運手に対して、ちょっとしたことでも、心の中で文句をブツブツ言っているのだが、

今日は、「はいはい、お先にどうぞ」や、「車間距離を十分取って行きましょうか」、なんて、心が広いのである。

「上質なもの」に触れると、心や気持ちが、打たれる。

視・聴・嗅・味・触の五つの感覚が、またはその一部が、くすぐられる。

足の裏は、触覚なのであろうが、音楽が、そこから伝わるとは。
ご存知、ジャズは、アメリカのネイティブ・アフリカンから誕生した(と思う)。
日本人が、そのリズムやスピリットを、再現できるなどの問いかけもあるかもしれない。
しかし、足の裏で、それを体感できるのは、この国だから。
そう思うと、爽快でもあり、お気の毒でもあり。

歳森氏のお陰で、素晴らしい体験ができた。

柔和な笑顔で、優しく語られる言葉を、逃してはいけない。

しかし、一方では、氏は罪作りでもある。

このような体験・・したくても、そうそう簡単に出来るものではない。

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